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とても切なくなるお話しでした😢でも、きりゅうさんどんなお話しでも立板に水の如く話される、すごいです♪🤩
やっぱりきりゅうさんの解説は格別。「語り」そのものがもはや芸として確立してはる。
きりゅうさんのお話をうかがって今年の大河ドラマを見ると、「清少納言の思いが千年の時を超えて21世紀の日本人へ伝わった!」と感じます。感慨深いです。
清少納言含め女房達、身だしなみいい加減だったんだね。中宮様にお仕えするのを誇りに思うなら自分達も身だしなみを整えなさいよ。自分達がだらしないのに、平生昌に逆恨みするのはお門違いだと思いました。
きりゅうさん平安時代からやってきた記者のようで😊いつも臨場感あふれたお話。楽しすぎます!!❤
すばらしいきりゅうさんの語りでした😊ドラマとかしましの解説で、もうどれほど定子の立場がつらいものだったのか、しみじみわかりました。貴族社会に総スカンの中で、よく定子も清少納言も耐えました😢おまけで、平惟中、生昌兄弟の心根を教えてもらえて本当に嬉しいです😊
今回もとっても興味深い内容で、体感的に5分ぐらいで見終わってしまいました。ありがとうございます。清少納言に思いを馳せると、涙が出そうになります。それはそうと、過去動画も同時進行で見ているのですが、お三人共皆様がどんどんお綺麗になられていて、今回は思わず見とれてしまいました。お肌も本当にお綺麗ですね。羨ましいです。七夕の絵もとても素敵でした
清少納言が定子中宮賛美をする背景を知ると、『枕草子』が、より立体的に奥深くなりますね。清少納言の意地もあったとは思いますが、やはり素晴らしいお人柄を伝えたいという思いだったのでしょうね。
自分の子でなくとも一緒に育てようと言う宣孝は、結婚前から薄々道長との仲を知っていた。だから妊娠が発覚しても驚きはしただろうが、当時の結婚観も一夫一婦制ではないので、緩やかに受け入れる気持ちがあったのかもしれない。まひろと道長の関係を自分の出世に役立てようとする宣孝の意図をいう説もあるが、私にはそこまで考えていないように思われる。この妊娠に対してのいとさんの対応が、神だった!何があろうとまひろに寄り添うというまるで母親のような説得をし、とても頼りがいがあってさらに好きになった。いとさんにとっては、まひろも彼女の弟も子供同様な感覚があるのだろう。
一夫一婦の考え方はそもそもキリスト教の文化で、それにどっぷり浸かっていた西洋の価値観なんですよ。明治までは普通に妾を持っている実力者がゴロゴロいたんですよ。
@@とらねこ-v3h さん 明治の元勲はじめ江戸時代のまでの将軍、天皇も含め、子孫を多く残すことが家の繁栄のため必要で、最重要課題だったということはありますね。
松方正義は明治天皇に子供が何人いるのかと問われて、即答できずに後日調査結果を回答したそうです🤣🤣🤣
@@とらねこ-v3h さん それは、すごい!😆😅
>出世に役立てようとする宣孝の意図 ←私もゼロではないにしても比重は低いと考えます。結婚の際、言葉で説得しその後行動で示したわけですからそれはもう愛でしょう。もし、ただの不実な男ならその場の口先だけでこじれるはず
きりゅうさんのお話教科書に載らなくても先生が話してくれるだけで歴史や古文に関心を持つ生徒が増えるでしょうね
清少納言の中宮定子様への愛の深さに泣けます。これから枕草子を読むときに泣きそうです。
定子ちゃんへの嫌がらせの話を聞いてもっとブラック道長になるのかなと思っていましたが、絶妙なラインで耐えてますよね、これからブラック化が進んでいくのか…まひろと見守ります☺︎
@@kk-uc4wt ともすると、ブラックな面が、クローズアップされて描かれやすいお話ですが、脚本のせいなのか、それを、さらっと演じておられる柄本佑さんの演技の成せる技なのか.素晴らしいと思う。
@@コウキュウ 私はお芝居の力が大きいと思います。変な例えですが、芸人のクロちゃんのアウトな発言もイケボで吹き替えるとセーフに聞こえますしw
きりゅうさんの解説は楽しみながら理解が深まるのでありがたいです👍個人的に平惟仲さんを最初に記憶したのは宣孝さんに促された為時さんが東三条殿に自分の推薦願いを届けに行った際に、外で応対した家司さんだった時だと思います。あの特徴的な細いお髭はインパクトありました。あの兼家さんの家司さんが務まるくらいなのでとても優秀な人という印象ですし、現在は公卿に出世しているのも納得です。
きりゅうさんのお話を聞いて枕草子の上辺しか理解していない事を知りました。裏事情を知っていると深い内容であった事が良く分かりました。
高校時代、古文の授業で『大臣生昌が家に』の段を読んだ、内容が、当時女子高生定子推しの私にはツラかった…生昌が嫌いになった😢『職の御曹司におわしますころ』も何だかツラかった😢きりゅうさんのこの動画を見終えるまえは、“生昌”や“職の御曹司”はストレス単語でしたが、今は、穏やかな気持で生昌や職の御曹司を見ることが出来ます。🐨🌿知る、という事は、良い事ですね。ありがとうございます。また、次回も楽しみにしています。
『よく知ってる』史実で、複数の創作物を読んで知ったつもりになってる私だったりしますが、きりゅうさんの解説・読み解きが素晴らし過ぎて、新たな知見を得られてます。ありがたすぎる🙏😭❤正直なところ清少納言はあまり好きではなかったし、かと言って紫式部もう〜ん?だったのですが(両者の作品の素晴らしさは別)今期大河のおかげ、そしてきりゅうさんの素晴らしい読み解き解説のおかげで、めちゃくちゃハマってます!
きりゅうさん、この服似合ってます👍
毎回盛りだくさんの内容で聴きごたえがあり、楽しみにしています🙂✨
きりゅうさんの教えた大江匡衡をしっかり覚えてる、さすがラットさん。平惟仲も源俊賢も、中関白家から道長に上手く乗り換えましたよね。他の公卿に嫌われても、中宮に仕えたい様な人はいないですよね。彰子入内の屏風に歌を詠まない実資に、ネチネチ皮肉言ってる道長はブラックでした。定子に皇子が生まれた時は、道長焦ったでしょうね。一生で1番胃の痛む思いをしたんじゃないでしょうか?
定子様の葬儀にすら参列しなかった高階家メンバーに比べて、惟仲&生昌兄弟は頑張ったと思うのです (`・ω・´)
学者の大江匡衡の話を聞いて、ドラマでは越前にいる、為時パパを思い出しました✨ 平安の学者も色々ですね。世渡り上手そうな匡衡と、10年無職だった為時パパ... 生き方の問題なので、どちらが良いと言うことでもなく😌
いつの時代も出産は大変だけど、その中でも大変な出産だったんですね。一条天皇も気苦労が多くて大変そうだと思いました。
いつもありがとうございますきりゅう様のお話のおかげで、大河が、奥深くたのしむこかあできます。❤😊😊
宇治の別荘って、あの平等院鳳凰堂ですね。ついこの前行きました。鷺がうなぎのようなものを捕まえて食べていました😅
きりゅうさんの解説がないと枕草子は全然理解できないですね💦物語の特性上注釈もあまり入れられないし。かしましチャンネルのお陰で本当賢くなった気分です笑
今回の動画の定子様の第二子出産の件を聴いて、清少納言が宿下がりをした屋敷の格や設えを事細かに描かなかったのは、清少納言が中宮定子への為だけに全身全霊を傾けて綴った『枕草子』に、怨み辛み等は 絶対に載せない!定子様を悲しませる様な事柄は載せない!という清少納言の矜持も あったんでしょうかねぇ😢そう思うと泣きそうです😢
状況がすっかり変わってしまっても、香炉峰の雪のエピソードの時から全く変わることなく心だけは落ちぶれない定子様は、中の関白家唯一の人格者ですね。清少納言が推すだけにことはありますね。
きりゅうさん、髪型もスッキリまとめて色気ありますし、ネックレスも白くて爽やか、フワッとしたブラウスも素敵です。
七夕の絵本素敵です✨あと今日のきりゅうさんのファッションが夏らしくて素敵です💓
枕草子にはおかしきことだけ書くでしたね❤定子との思い出を楽しんでいて良いです。出産で夫やお父さんが腰支えするなんて今時の出産みたい❤
今回の大河ときりゅうさんの解説のおかげで枕草子に対する理解度がグッと上がりました。知識って、本当に宝ですよね…。ありがとうございます😊
性格が歪んでいる私は、みすぼらしい屋敷で中宮が出産する事を書かない清少納言はただプライドが高いなーという感想でしたがラットさんは愛を感じたんですね 反省😅確かに自分達がピエロになって中宮様を立てるのは愛だし本当に定子さんと清少納言の関係が分かりますね😊定子さんの出産の加持祈祷はショボかったんですね😳その後のまひろの出産が更にショボかったので豪華に見えました😆が訳あり中宮だからで、そうでなければもっと盛大だったんですねまひろ家のせいで逆効果だったかも😅ドラマではちょっとずつブラック道長が見え隠れしてきていますねこれから世代交代されて新キャラが出て来るかなまた次回も楽しみにしております❤
@@syan5844 結局は醜い権力逃走の世界ですね~この後一条帝は散々道長に利用されて退位まで迫られるのだからもう幼い時から寄り添ってくれた定子皇后の所に行きたかったのではないでしょうか⁇真子さんが皇室を出たかった気持ちも分かりますが
きりゅうさん、オシャレ〜♪*( ̄∇ ̄)*
道綱くん、史実でも癒し系なんですね〜弟に誘われてのこのこ遊びに行っちゃうの可愛い
定子が平生昌邸へ行くとき、公卿たちが行列に付いて行ってたとしても、全員が入れないくらいの狭い家だったのですね。満足な おもてなしもできないから平生昌にとっては来てくれなくてむしろ良かった。女房たちもみっともない姿を公卿たちに見られなくてよかった。
道長の意地悪は定子が中宮になった時から始まっていて中宮別当だったのに指揮をとらなくて女房たちが混乱して遅れた、史実に残されたものだけでも酷い扱いですが残されていない中にもあったんじゃないかと疑ってしまいます側に仕えた清少納言は道長、公達の思惑も全部見ていたでしょうし「枕草子」を抹殺されず残すために闇の部分、権力者やおバカの伊周の部分などカットせざるを得なかったのではないでしょうかそれこそが「闇 の部分」だと思います
今、まさに枕草子を読んでいます。現代語訳つきのものです。ふつうに笑える話として読んでしまいましたがそんな裏事情があったとは…もう一度読み直そうと思いました。
まひろの出産の時は乙丸たちのインチキ読経だった演出は、さらに下級でショボイと言う意味だったのか、と納得😅
道雅のお話もしてほしいです🙋百人一首に選ばれている中々の大恋愛をしているようなので…
平惟仲だけでなく、源頼光も道隆から道長に乗り換えましたね。
敦康親王誕生の裏のあれこれ話面白かったです。中宮の出産なのに誰も快く屋敷を提供してくれなかったというのは悲しいですね。いろいろやらかしが多かった家だし、強い後ろ盾もいないとはいえ辛いなあ
きりゅうさんの解説があると、字づらでしかなかった歴史が立体的になって、色まで着いてくる感じで本当に楽しい。それにしても定子ちゃんが気の毒です。あの時髪を切らなければもっと違ってたのかなぁ。
動画のかしまし娘さん、noteの青江さん 光る君への知識・感想としての両横綱の感あり。
配信ありがとうございます😊定子を罵詈雑言で批判し広めた大江の妻は赤染衛門で夫婦仲も良かったみたいですねその赤染衛門は栄華物語を書いたとされていますがその栄華物語は道長を中心に一族の栄華を書いていますが一方で、定子のことは褒めたり同情的に書くことはあっても決して悪く書いていなく中関白家も悲哀に書かれるという矛盾めいた特徴があります定子以外にも全体を通して読むと矛盾してない?と読める部分が見え隠れしてますこの矛盾を通して当時の貴族たちの本音などが垣間見えるようです
酷い家だったらしいですが、寧ろそんな家しか提供されなかった定子の状況というのを改めて分かりましたそれだけやっぱり公卿達に反発かってたんですねラストに説明されてた豪華な出産は今後彰子がやるのかな?
大きな出来事なのに、あっちには書いてあるのにこっちには書かれていない!という謎は、一次資料を色々読むとままあることなのかもしれませんが、書かれた背景や書いた人のことを知れば知るほど、その「敢えて記録に残されなかった」理由がわかって楽しいです😊当時の記録を読む上での大事な視点を教えていただきました。下手な説明ですみません😅
そういう意味で、小右記は貴重なんでしょうね。
@@とらねこ-v3h様おっしゃる通りだと思います。道長が我が世の春を謳歌していたこの時代に、だれにも阿らずに淡々と記録を残しているんですから本当に貴重ですよね。基準になる小右記があってこそ、同じ時代を色んな立場から見て書かれた記録の面白さがわかるんですね。ご返信いただき、ありがとうございます😊
髪さえ切らなけば、良かったのでしょうか、道隆も亡くなったので、髪を切ってなかったとしても扱いとしては落とされるのか
やっぱ権力がないとひとはついてこんのだな わたしもこれからは左大臣をめざしたいとおもいます
ドラマでは、定子の出産の日と彰子の女御宣下の日を安倍晴明の予言でわざわざ同じ日にするといった嫌がらせをしましたね。描かれた嫌がらせだったのではないでしょうか?
お話面白かったです。登場した貴族のなかで唯一肝が据わってきちんと自分の場所で戦っていたのは清少納言だけだったんですね
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗光る君へでは定子さん公卿たちに嫌われてるなと思えるぐらいですが史実ではもっと酷かったんですね。定子さんかわいそう
きりゅう先生、ブラウス素敵です✨お肌もピカピカお美しくて羨ましいです✨✨✨私は夏バテ❓️梅雨バテ❓️ヘロヘロに成っております😅💦清少納言の想いは、現代までつながって居るんですね!清少納言をより深く知ることが出来ました。有り難う御座います(*^^*)✨✨✨
いつも楽しく拝見してます。きりゅうさんのお話は本当に面白くて、歴史ってこういうふうに解釈するんだ!と知りました。
定子ちゃんの出産の時はお兄ちゃんズだけで、なんとも心淋しい感じでした是非彰子ちゃんの出産の様子を是非取り上げて欲しいです僧侶の読経ドンドコドンドコ〜ものの怪がうつった憑巫の叫び声きぇぇ・・・・ととても出産出来るBGMではない様子を是非に❤
昔からの清少納言推しで、高畑充希が好きな私は、定子様推しでございます〜
定子ちゃんは、髪切らなきゃよかったのにね。
きりゅうさんのお話を聴いてると平 惟仲さんも明日は我が身と思いながら生き馬の目を抜く貴族社会で生きてきた強者一見冷酷に見える平惟仲さんは定子さんのお葬式を行ってるから心根がとても優しい人なんでしょうねあと最後に荒三位こと藤原道雅の名が出て嬉しかったです
大石静さんは、道長は今後も闇落ちしないと宣言されているそうです。そうすると道長の傲慢さを詠んだ歌と言われている望月の歌は NHKの新解釈が出るのでしょうね。楽しみ。
今回は、嘘っぱちばかりで、時代考証どうなってるんだ!!と感じています。長年の大河ドラマ的には、史実を捻じ曲げすぎです。
@@宮田綸子 そうですね。まひろと道長の関係に関しては、第 1回目からドラマとして見ないとけないですね。
まだまだ史実が、ガッチガチじゃないんだから、アリかな。 なぜ、女性だけでなく、男性にまで読まれたのか。天皇を頂点とする古代国家。貴族を中心とした身分社会。世の中の価値観、道徳観念、恋愛も全く異なる。その中で、異例の源頼朝と北条政子と、源義経と静御前のロマンス。特に、判官贔屓を生み出した辺りの御堂流は、が、それから現代のみならず、確かに生前中から読まれていたけど、本格的に語り継がれ、書写されたのは、娘の大弐三位(藤原 賢子)の時期か、小倉百人一首や優雅な王朝文化の懐古から、『源氏物語』が
@@宮田綸子1000年前の史実なんてどこまで当てになるのですか😅?そもそも記録なんてほとんどない時代歴史なんて勝者の記録だけが頼りでしょう大河ドラマでもドラマはドラマ…作り物なのですから始めからそのつもりで見ないと
道長と差をつけられていく定子も清少納言もかわいそうです。そんな中でも定子への愛を出す清少納言、泣けます。
行成くんの努力のお蔭で~定子さん(お移り)の行列に時光と実資を同行させることが出来て、なんとか体裁を整えられて良かったですね😃同日に【宇治遊覧】をぶつける道長の嫌がらせに~参加したのが斉信と道綱だけだったのと=公卿の多くが日和したとはいえ=ここは引き分けですね😃行成くん、グッジョブです❗行成の板挟みの苦悩を描くのに絶好の「事件」なのに、スッポリとカットされたのは少し残念でした💦それまでの役者さんの表情演技にその一端は現われていましたが🙂さらに敦康親王誕生時に道長から『嫌がらせパート2』をブツけられる定子サイドの屈辱は・・・同情に堪えません😢でも雄々しく気を張る【定子&清少納言】は、やはり敗者かもしれませんが、それ故に「美しい」ですね。それだけに凋落を招いた兄伊周の「しでかし」に今更ながら「喝」を入れたくなります👊でも反省の無い演技をする役者さんもさすがです😁
確かに、歴史的には敗者である定子清少納言ですが、だからこそその無念を秘めながら直接的に描かれていない”枕草子”が現在まで伝えられていることを思うと、彼女達の思いはしっかり継承され現代の私達に共感と哀れの気持ちを告げていて、すごいなあ!と感じます。
@@cancan5892 さん~定子さん&清少納言には失礼かもしれませんが、私は「滅びの美学」には非常に惹かれます。素晴らしい美点や長所がありながら「欠点・やらかし」を持ち合わせて脱落する芸術家タイプの場合もあれば、運命に翻弄されて退場を余儀なくされる場合など・・・アン・ハッピーエンドとも言えそうですが、「かつての栄光は麗しかった!」でもあるわけですね。きりゅうサン解説によって「枕草子」の裏事情が~否、清少納言の本意が度々語られて、勉強になりますね❗
定子出産の場面では小さな門で ひどい目にあった清少納言が 生昌に文句を言うと 身分相応の門にしたのです と言われ、門だけは大きく作った人もいますよ とやりこめるシーンがあります。中国の故事を引用しているらしいのですが 機会があれば解説してほしいです。それにしても清少納言の美意識は素晴らしいですね。本当にいい女です。
ここまで解説を聞いて漸く道長の腹黒さを理解。ドラマはそこまで描かないので。
やはり、今も昔も同じ、顔色を伺って、仕事ですよね😅
伊周や隆家は何の力も無かったのですか?自分の屋敷も無かったのですか?ドラマでは立派な身形で元気そうでしたが~
いつも、配信をして頂きまして、どうもありがとうございます。関係が無い話ですけれども、ふと思ったのですが、まひろちゃんの旦那様の宣孝さんの事を「殿」と呼んでいましたけれども、為時パパが越前から帰って来た場合、為時パパは何と呼ばれるのでしょうか?。「大殿」になるのでしょうか?。それとも、屋敷を別に構えて、「殿」のままなのでしょうか?。
あ、わたしも気になってます❤
当時の出産って、あんなに真っ白な着物や寝具で、画面では全く汚れてはいなかったんですが😅汚れたら全部すぐに取り替えたり、産後はすぐ捨てていたんですか?
赤ん坊含めて7日間はそのままです。もちろん汚れたら取り替えます。
という事は、出産用の着物などはかなり大量に準備していたのですね。返答ありがとうございます😊
伊周とか隆家の屋敷で出産しなかったのはなぜでしょうか?
二人はこのとき官位がなかったからでしょうね
ありがとうございました😊納得です
@@kashimashi_rekishi_ch 高階明順の屋敷を使わなかったのはなぜでしょう?
道長が、紫式部に彰子の出産を詳しく記せと命じて、式部は日記にどれだけ豪勢だったかを書いたそうですね。きっとドラマでその様子が描かれて視聴者はその比較をしてまた定子さまを思い出し泣くのでしょうね。
行成君不憫
伊周が京に戻ったと密告したのは、まだ播磨にいた伊周と丹波にいた隆家のやりとりを、隆家の面倒を看ていた平生昌の甥っ子が道長に密告したとも言われていますね。だから平生昌自身は、清少納言たち定子の女官にディスられながらも、最初から最後まで恩義があった道隆の娘定子に尽くした忠義者だった説もありますよね。
定子(ていし=歴史の方です)が、髪を切って、内裏へは入れない状況であったにもかかわらず、一帝二后として、今までの呼称より上(?)のような、皇后にしたのなぜだったのでしょう?皇后と認めるのなら、そのような処遇があってもいいのでは?もちろん実家が、力を失ったことが、大きく響いているのでしょうが、この際定子自らの出家したという意思がどう扱われていたのでしょうか。(髪さえ切ったりしなかったら・・・とずっと思っているのですが)
彰子さん今回の入内も無表情でしたけど、一条天皇との対面シーンはなんか惚れてるっぽい感じしたんですよね、歴史を知る我々はこれから定子がなくなり、のちに一条天皇も彰子さんを愛したのを知ってますけど、今のところまだ彰子さんに興味がなさそうの一条天皇を見ると、これからの彰子さんが心配になる。
赤染右衛門の旦那さんもドラマに出て欲しい〜😊ボンクラ道綱🤣今、酒井順子さん著の枕草子を読んでいるのですが、ちょうど平生昌のとこ読んでました〜(^o^)
七夕のイラストメインは織り姫星彦星は、「男」というだけで名前も無い天頂に輝く織り姫星を子ども2人と共に見上げている、本来の七夕に近いイラストですね蝉が鳴いたので、もう梅雨明け☀ですね
枕草子には職御曹司にも公卿達が来て華やかな様子が描かれてるらしいのですが(当方勉強して無いので実際は不明ですが)その公卿達も出産の際に屋敷は提供しなかったという事でしょうか?ドラマでも公任さんが笛を吹いてましたが…
道長、相当焦ってたんですね〜。いじめは良くないし定子は可哀想だと思うけど、道隆も相当身内びいきしてたからな…。死ななければ中野関白家の権力独占は加速してたと思うから、美化するのは身内だからかなと思ってしまう🤔
ずっと疑問に思っていることがあります。1000年前の御堂関白記や権記、小右記などの日記が今の時代にも残っているのがすごいなぁと思ってますが、どのような経緯で残っているのか知りたいです。子孫の方が代々保存していたのか?発掘されたとか?道長の書いた御堂関白記が世界遺産になっているとの事ですが、その経緯も知りたいです!宜しくお願いします。
京都には平安時代の藤原家から続く公家(公卿)冷泉家が今も続いています。冷泉家では今でも十二単を着て歌を詠むなどの行事をつづけてます。また、明治時代に天皇に就いて東京に移り住んだ元公家の人々は、近衛伯爵など爵位を得て、政治の中枢で活躍しています。つまり、平安時代の文化的資料は天皇家が続いてきたので現代まで守られる素地があったと考えます。奈良の高野山で道長自筆の資料が最近見つかったニュースもありましたよ!
天皇家が代々続いているんですね~。とても興味深いお話し教えていただきありがとうございます😊😊😊
4〜5話前だったか、F4から道長が抜きん出た後に源俊賢が加わって4人で話していた時他の3人が道長についていくとか、負けたとか言っている中、斉信だけは無言を通したので、まだ一発逆転を狙っているのかなと思ったのですが深読みしすぎですかね歴史上は道長におもねっているようですし
中宮定子の読み方が「さだこ」というのに異説はないんでしょうか徳川和子が入内するときに、宮中では濁音は忌避されたので、読み方を かずこ から まさこ に変えたという話がありますが、それは後世の話で平安期には問題なかったのでしょうか?ちょっと調べたら定子と書いて「やすこ」「またこ」「つらこ」などとも読めるようなので、そっちを主張する説はないのかな、とか、最近気になってます。
定子にいろんな読み方があるんですね。サダコはなにかピンときませんよね。でも私は、そもそも定子などの名前は、位階とかのための書類記載に用いられるもので、普段の呼称ではなかったのだから、案外、ご本人や周りの人も、読み方は分からなかったのでは?と思っています。昭和のころの皇室アルバムでも、宮さま方は○○宮さまと呼ばれていて、○仁さまとか○子とは呼ばれてなかったし…
定子皇后の血筋 女系でもどこかで繋がっているのかな⁇ある歴史学者もおっしゃっておられますが一条帝が彰子中宮に接したのは寵愛からではなく政治背景があったからだとおっしゃっておられますがきりゅう様いかがでしょうか⁇
「がんじがらめ」って漢字で「雁字搦」って書くんだ!驚き😮
内裏の火事を定子中宮のせいと噂を流した大江…道長への忖度…ところで内裏の火事の出火原因って、なんだったんだろう…?と気になってきた…😨
今回のドラマで定子様を皇后にして、彰子様を中宮にする、という話がありましたが、皇后の位が空いたなら、そこへ彰子様を入れるのではダメなのでしょうか?
平安時代の上級貴族、結構ストレス溜まりますね。。。
規則でがんじがらめな天皇。。。それでもなぜ天皇は自分の息子を、愛する女性が産んだ息子を天皇にしたがるのか???
きりゅうさん、とってもおしゃれで素敵です💛 厳しい目を向ける人もいますがやっぱり私は清少納言と中宮定子の関係性が好きですね。尊いです。千年たった今でも中宮定子を好きな人はたくさんいるのですから、清少納言の思いは叶ったと言っていいと思います。ところで定子様が亡くなって清少納言たちが宮中を去って後に貴族たちが定子サロンを懐かしみ賞賛して、彰子サロンを酷評したのは本心では同情する気持ちがあったとかいうことはないのでしょうか?
ガチに豪華な妃の出産シーンは、彰子ちゃん初産の時に、ドラマでも見れそうですね!なんといっても舞台は土御門殿・・・まひろが女房として、紫式部日記に詳細に書き残してくれてますし🤭とても楽しみです
枕草子の裏話、実は…というのを知ると、権力闘争は切実なのだとつくづく思います「入内をぶつけるか」とあっさり言ってましたが、熟慮した段取りもあり、道長は賢い人だったんですね枕草子に、「器の小さき人、心の狭き人、云々」と反撃文を書いてやればよかったのに定子さんの出産がしょぼいと言われると、まひろさんの立場がなくなりそういとさんも乙丸さんも他、みんな百人力で頑張ったということですよね
長徳の変、花山法皇の牛車が射られたのは斉信の屋敷の門の外。門の中には牛車は入らなかったのでしょうか。斉信の父は太政大臣為光。門が小さいとは思えないので四の君の寝所に近い小さい門から出入りしていたから牛車は門外で待っていた。というところでしょうか。
一条帝は生涯定子皇后を愛していたのは確実と思います 彰子中宮は圧力で仕方なくとある歴史学者かおっしゃっておられますが きりゅう様いかがでしょうか⁇
定子と清少納言は不遇の扱いを受けても心豊かで雅なのが見ていて優しく悲しい気持ちになりますきりゅうさんの解説を聞いて枕草子の読み取り方が変わってきます兼家の血を受け継ぐ道長がブラック道長にならない事を願います
道長は定子に対して傲慢とか、嫌がらせとか言うけど、それは矮小化した見方だと思います。道長にとってはそれも政治なのだと思うのですが。
女性に対して、あれはやりすぎ、器が小さいと昭和時代の学者が書いた本にはありました。
なるほどー、弓でトラブルおこした2人が鳴弦かぁー、と思ってたのですが、お兄ちゃんしかやってくれる人いなかったんですね
道長なりのことなんだけど定子ちゃんには最悪(;´∀`)でも、どちらもわるくないんですよね。
平生昌は門を四脚門に作り替えたという記録は無くて、清少納言が定子のみじめさを知られたくなくて嘘をついた、という説もあるそうですね。中宮太夫を放り出した惟仲といい、この兄弟はひどいですねえ。
前回の返信が私にとって本当に役に立ちました。ありがとうございます!
藤原彰子の女御にする宣旨文は伝わらないが書式は一定しているので想像は可能だ。しかし、上卿、伝宣者、奉者が不明なので作れない。尤も、口宣案の作成は可能なので試みた。長保元年十一月七日 宣旨從三位藤原朝臣彰子宜爲女御藏人頭右大辨藤原行成奉それにしても、この時期には、藤原実資の小右記、藤原道長の御堂関白記、藤原行成の権記といった日記類が現存しているものの、いずれもこの女御の宣旨文を掲載していないのは残念だ。
帝は甥、中宮は姪、若い甥と姪がそんなに愛し合っているのにそこまで嫌がらせするなんて何様って思ってしまいます。まだ30代だと思うのですが、それだけ威圧感のある人だったのかなと感じます。
この時代、兄弟ですら系統が違い、権力争いの敵です。かつて兼家も兄と争って辛酸を舐めました。そもそも愛だの恋だのを政治に持ち込んだ一条天皇と定子が非常識なんです。没落した挙句、勝手に出家した定子は政治的に見たら天皇の正妻に相応しくありません。でも定子が愛おしいからと中宮のままにして子を孕ませるなんて道長でなくても総スカンしますよ。本来なら他の女性を中宮にするべきなんです。帝と中宮は庶民の夫婦ではないのですから。
冷たいかもしれないけれど定子と一条天皇ってラブロマンスとては素晴らしいしすごい純愛だけど現実的には非常識で嫌われるのも当然ですよね。定子は判官贔屓と清少納言の定子賛美で悲劇のヒロインになっているけど父が死んで2日で参内したり、兄と弟を自ら匿ったり、衝動的に出家したりしていて直情的で後先考えられない人と言わざるをえないと思います。学はあっても行動が愚かというか。また、定子は権力欲がないとも思えないです。天皇を断りきれなかったとも言われますけど髪切ったなら本当に仏門に入って仕舞えばよかったのにそうせずに天皇に応じてるのは中関白家の復興を狙ってたというしかないでしょう。決して悲劇のヒロインとはいえません。結果、貴族の顰蹙買って自分や子を助けてくれる人を自ら減らしたわけですが。中関白家ってことごとく自業自得ですね。枕草子も忠義の証であるでしょうがプロパガンダともいえますね。個人的に道長は嫌がらせをしてはいるけど単なる権力闘争の勝者。彰子も最終的に絶大な権力を手にしただけだと思います。それだけで悪く言われることもありますけど、権力闘争に負けた挙句、墓穴掘った定子含む中関白家の人々にそこまで同情の余地はないと思います。
このコメントを見るまで、定子はただただ可哀想で、なんなら定子→善、彰子→悪みたいにとても薄い浅はかな認識でした。でも、このコメントを読んで認識が変わりました。冷静な反対意見って大事だと思いました。
@@成瀬-z6m 定子は兄や弟、天皇に振り回されたという意味では可哀想な人ですが、きりゅうさんが度々仰っているように平安時代の女性は弱々しいだけではないという面が定子にもあったということだと思います。
@@yayoia8017 コメントありがとうございます。広い視野で見ていかなきゃと痛感しました。なので、彰子の事も色眼鏡で見るんじゃなくきちんと良い所を発見して行こうと思います。
何だか私のメンバーシップの引き落としが出来なかったみたいで、申し訳ございませんでした。以前にも有ったのかしら?全くいい加減で申し訳ないです😢今、無事に更新されました。ごめんなさいm(_ _)m多めに入れとけって話ですよね💦今後は気を付けます(´TωT`)
もし藤原道隆(井浦新さん)が長生きしていたら中関白家が栄えていたでしょうし🌸さらに中宮・定子に第1皇子敦康親王が誕生しましたから,敦康親王が天皇に即位していた可能性も大✨でしたね。詮子(吉田羊さん)は円融天皇からあまり愛されませんでしたが父・兼家という偉大な後見がいた為に一条天皇は即位できましたが,定子は一条天皇から寵愛され💕第1皇子を生んだけど母方の後見の弱さの為に敦康親王は天皇になることはできませんでした,こう思うと詮子と定子は対照的な天皇家の嫁姑ですよね🤔
道長の腹黒さが見えてきましたね~政治てきな事でしょうが、よほど定子様が怖いのですね、もともと個人的に嫌いですが、政治てきでもやり過ぎですがまぁ~ドラマですからね~千年前の時代何が本当か定かわかりませんね~でも源氏物語は物語としては大好きです😅
とても切なくなるお話しでした😢でも、きりゅうさんどんなお話しでも立板に水の如く話される、すごいです♪🤩
やっぱりきりゅうさんの解説は格別。「語り」そのものがもはや芸として確立してはる。
きりゅうさんのお話をうかがって今年の大河ドラマを見ると、「清少納言の思いが千年の時を超えて21世紀の日本人へ伝わった!」と感じます。感慨深いです。
清少納言含め女房達、身だしなみいい加減だったんだね。中宮様にお仕えするのを誇りに思うなら自分達も身だしなみを整えなさいよ。自分達がだらしないのに、平生昌に逆恨みするのはお門違いだと思いました。
きりゅうさん
平安時代からやってきた記者のようで😊
いつも臨場感あふれたお話。
楽しすぎます!!❤
すばらしいきりゅうさんの語りでした😊
ドラマとかしましの解説で、もうどれほど定子の立場がつらいものだったのか、しみじみわかりました。貴族社会に総スカンの中で、よく定子も清少納言も耐えました😢
おまけで、平惟中、生昌兄弟の心根を教えてもらえて本当に嬉しいです😊
今回もとっても興味深い内容で、体感的に5分ぐらいで見終わってしまいました。ありがとうございます。清少納言に思いを馳せると、涙が出そうになります。それはそうと、過去動画も同時進行で見ているのですが、お三人共皆様がどんどんお綺麗になられていて、今回は思わず見とれてしまいました。お肌も本当にお綺麗ですね。羨ましいです。七夕の絵もとても素敵でした
清少納言が定子中宮賛美をする背景を知ると、『枕草子』が、より立体的に奥深くなりますね。清少納言の意地もあったとは思いますが、やはり素晴らしいお人柄を伝えたいという思いだったのでしょうね。
自分の子でなくとも一緒に育てようと言う宣孝は、結婚前から薄々道長との仲を知っていた。だから妊娠が発覚しても驚きはしただろうが、当時の結婚観も一夫一婦制ではないので、緩やかに受け入れる気持ちがあったのかもしれない。まひろと道長の関係を自分の出世に役立てようとする宣孝の意図をいう説もあるが、私にはそこまで考えていないように思われる。この妊娠に対してのいとさんの対応が、神だった!何があろうとまひろに寄り添うというまるで母親のような説得をし、とても頼りがいがあってさらに好きになった。いとさんにとっては、まひろも彼女の弟も子供同様な感覚があるのだろう。
一夫一婦の考え方はそもそもキリスト教の文化で、それにどっぷり浸かっていた西洋の価値観なんですよ。明治までは普通に妾を持っている実力者がゴロゴロいたんですよ。
@@とらねこ-v3h さん 明治の元勲はじめ江戸時代のまでの将軍、天皇も含め、子孫を多く残すことが家の繁栄のため必要で、最重要課題だったということはありますね。
松方正義は明治天皇に子供が何人いるのかと問われて、即答できずに後日調査結果を回答したそうです🤣🤣🤣
@@とらねこ-v3h さん それは、すごい!😆😅
>出世に役立てようとする宣孝の意図 ←私もゼロではないにしても比重は低いと考えます。結婚の際、言葉で説得しその後行動で示したわけですからそれはもう愛でしょう。もし、ただの不実な男ならその場の口先だけでこじれるはず
きりゅうさんのお話教科書に載らなくても先生が話してくれるだけで歴史や古文に関心を持つ生徒が増えるでしょうね
清少納言の中宮定子様への愛の深さに泣けます。これから枕草子を読むときに泣きそうです。
定子ちゃんへの嫌がらせの話を聞いてもっとブラック道長になるのかなと思っていましたが、絶妙なラインで耐えてますよね、これからブラック化が進んでいくのか…まひろと見守ります☺︎
@@kk-uc4wt ともすると、ブラックな面が、クローズアップされて描かれやすいお話ですが、脚本のせいなのか、それを、さらっと演じておられる柄本佑さんの演技の成せる技なのか.素晴らしいと思う。
@@コウキュウ 私はお芝居の力が大きいと思います。変な例えですが、芸人のクロちゃんのアウトな発言もイケボで吹き替えるとセーフに聞こえますしw
きりゅうさんの解説は楽しみながら理解が深まるのでありがたいです👍
個人的に平惟仲さんを最初に記憶したのは宣孝さんに促された為時さんが東三条殿に自分の推薦願いを届けに行った際に、外で応対した家司さんだった時だと思います。
あの特徴的な細いお髭はインパクトありました。
あの兼家さんの家司さんが務まるくらいなのでとても優秀な人という印象ですし、現在は公卿に出世しているのも納得です。
きりゅうさんのお話を聞いて枕草子の上辺しか理解していない事を知りました。
裏事情を知っていると深い内容であった事が良く分かりました。
高校時代、古文の授業で『大臣生昌が家に』の段を読んだ、内容が、当時女子高生定子推しの私にはツラかった…生昌が嫌いになった😢『職の御曹司におわしますころ』も何だかツラかった😢
きりゅうさんのこの動画を見終えるまえは、“生昌”や“職の御曹司”はストレス単語でしたが、今は、穏やかな気持で生昌や職の御曹司を見ることが出来ます。🐨🌿
知る、という事は、良い事ですね。ありがとうございます。また、次回も楽しみにしています。
『よく知ってる』史実で、複数の創作物を読んで知ったつもりになってる私だったりしますが、きりゅうさんの解説・読み解きが素晴らし過ぎて、新たな知見を得られてます。ありがたすぎる🙏😭❤
正直なところ清少納言はあまり好きではなかったし、かと言って紫式部もう〜ん?だったのですが(両者の作品の素晴らしさは別)今期大河のおかげ、そしてきりゅうさんの素晴らしい読み解き解説のおかげで、めちゃくちゃハマってます!
きりゅうさん、この服似合ってます👍
毎回盛りだくさんの内容で聴きごたえがあり、楽しみにしています🙂✨
きりゅうさんの教えた大江匡衡をしっかり覚えてる、さすがラットさん。
平惟仲も源俊賢も、中関白家から道長に上手く乗り換えましたよね。他の公卿に嫌われても、中宮に仕えたい様な人はいないですよね。
彰子入内の屏風に歌を詠まない実資に、ネチネチ皮肉言ってる道長はブラックでした。
定子に皇子が生まれた時は、道長焦ったでしょうね。一生で1番胃の痛む思いをしたんじゃないでしょうか?
定子様の葬儀にすら参列しなかった高階家メンバーに比べて、惟仲&生昌兄弟は頑張ったと思うのです (`・ω・´)
学者の大江匡衡の話を聞いて、ドラマでは越前にいる、為時パパを思い出しました✨ 平安の学者も色々ですね。世渡り上手そうな匡衡と、10年無職だった為時パパ... 生き方の問題なので、どちらが良いと言うことでもなく😌
いつの時代も出産は大変だけど、その中でも大変な出産だったんですね。
一条天皇も気苦労が多くて大変そうだと思いました。
いつもありがとうございますきりゅう様のお話のおかげで、大河が、奥深くたのしむこかあできます。❤😊😊
宇治の別荘って、あの平等院鳳凰堂ですね。ついこの前行きました。鷺がうなぎのようなものを捕まえて食べていました😅
きりゅうさんの解説がないと枕草子は全然理解できないですね💦
物語の特性上注釈もあまり入れられないし。
かしましチャンネルのお陰で本当賢くなった気分です笑
今回の動画の定子様の第二子出産の件を聴いて、清少納言が宿下がりをした屋敷の格や設えを事細かに描かなかったのは、清少納言が中宮定子への為だけに全身全霊を傾けて綴った『枕草子』に、怨み辛み等は 絶対に載せない!定子様を悲しませる様な事柄は載せない!という清少納言の矜持も あったんでしょうかねぇ😢
そう思うと泣きそうです😢
状況がすっかり変わってしまっても、香炉峰の雪のエピソードの時から全く変わることなく心だけは落ちぶれない定子様は、中の関白家唯一の人格者ですね。清少納言が推すだけにことはありますね。
きりゅうさん、髪型もスッキリまとめて色気ありますし、ネックレスも白くて爽やか、フワッとしたブラウスも素敵です。
七夕の絵本素敵です✨
あと今日のきりゅうさんのファッションが夏らしくて素敵です💓
枕草子にはおかしきことだけ書くでしたね❤
定子との思い出を楽しんでいて良いです。
出産で夫やお父さんが腰支えするなんて今時の出産みたい❤
今回の大河ときりゅうさんの解説のおかげで枕草子に対する理解度がグッと上がりました。
知識って、本当に宝ですよね…。ありがとうございます😊
性格が歪んでいる私は、
みすぼらしい屋敷で中宮が出産する事を書かない清少納言はただプライドが高いなー
という感想でしたがラットさんは愛を感じたんですね 反省😅
確かに自分達がピエロになって中宮様を立てるのは愛だし本当に定子さんと清少納言の関係が分かりますね😊
定子さんの出産の加持祈祷はショボかったんですね😳
その後のまひろの出産が更にショボかったので豪華に見えました😆が訳あり中宮だからで、そうでなければもっと盛大だったんですね
まひろ家のせいで逆効果だったかも😅
ドラマではちょっとずつブラック道長が見え隠れしてきていますね
これから世代交代されて新キャラが出て来るかな
また次回も楽しみにしております❤
@@syan5844 結局は醜い権力逃走の世界ですね~この後一条帝は散々道長に利用されて退位まで迫られるのだからもう幼い時から寄り添ってくれた定子皇后の所に行きたかったのではないでしょうか⁇真子さんが皇室を出たかった気持ちも分かりますが
きりゅうさん、オシャレ〜♪*( ̄∇ ̄)*
道綱くん、史実でも癒し系なんですね〜弟に誘われてのこのこ遊びに行っちゃうの可愛い
定子が平生昌邸へ行くとき、公卿たちが行列に付いて行ってたとしても、全員が入れないくらいの狭い家だったのですね。満足な おもてなしもできないから平生昌にとっては来てくれなくてむしろ良かった。女房たちもみっともない姿を公卿たちに見られなくてよかった。
道長の意地悪は定子が中宮になった時から始まっていて中宮別当だったのに指揮をとらなくて女房たちが混乱して遅れた、
史実に残されたものだけでも酷い扱いですが残されていない中にもあったんじゃないかと疑ってしまいます
側に仕えた清少納言は道長、公達の思惑も全部見ていたでしょうし
「枕草子」を抹殺されず残すために
闇の部分、権力者やおバカの伊周の部分などカットせざるを得なかったのではないでしょうか
それこそが「闇 の部分」だと思います
今、まさに枕草子を読んでいます。現代語訳つきのものです。ふつうに笑える話として読んでしまいましたがそんな裏事情があったとは…
もう一度読み直そうと思いました。
まひろの出産の時は乙丸たちのインチキ読経だった演出は、さらに下級でショボイと言う意味だったのか、と納得😅
道雅のお話もしてほしいです🙋百人一首に選ばれている中々の大恋愛をしているようなので…
平惟仲だけでなく、源頼光も道隆から道長に乗り換えましたね。
敦康親王誕生の裏のあれこれ話面白かったです。中宮の出産なのに誰も快く屋敷を提供してくれなかったというのは悲しいですね。いろいろやらかしが多かった家だし、強い後ろ盾もいないとはいえ辛いなあ
きりゅうさんの解説があると、字づらでしかなかった歴史が立体的になって、色まで着いてくる感じで本当に楽しい。
それにしても定子ちゃんが気の毒です。あの時髪を切らなければもっと違ってたのかなぁ。
動画のかしまし娘さん、noteの青江さん 光る君への知識・感想としての両横綱の感あり。
配信ありがとうございます😊
定子を罵詈雑言で批判し広めた
大江の妻は赤染衛門で夫婦仲も
良かったみたいですね
その赤染衛門は栄華物語を書いた
とされていますがその栄華物語は
道長を中心に一族の栄華を書いていますが一方で、定子のことは
褒めたり同情的に書くことはあっても決して悪く書いていなく
中関白家も悲哀に書かれるという
矛盾めいた特徴があります
定子以外にも全体を通して読むと矛盾してない?と読める部分が
見え隠れしてます
この矛盾を通して当時の貴族たちの本音などが垣間見えるようです
酷い家だったらしいですが、寧ろそんな家しか提供されなかった定子の状況というのを改めて分かりました
それだけやっぱり公卿達に反発かってたんですね
ラストに説明されてた豪華な出産は今後彰子がやるのかな?
大きな出来事なのに、あっちには書いてあるのにこっちには書かれていない!という謎は、一次資料を色々読むとままあることなのかもしれませんが、書かれた背景や書いた人のことを知れば知るほど、その「敢えて記録に残されなかった」理由がわかって楽しいです😊当時の記録を読む上での大事な視点を教えていただきました。
下手な説明ですみません😅
そういう意味で、小右記は貴重なんでしょうね。
@@とらねこ-v3h様
おっしゃる通りだと思います。道長が我が世の春を謳歌していたこの時代に、だれにも阿らずに淡々と記録を残しているんですから本当に貴重ですよね。
基準になる小右記があってこそ、同じ時代を色んな立場から見て書かれた記録の面白さがわかるんですね。
ご返信いただき、ありがとうございます😊
髪さえ切らなけば、良かったのでしょうか、道隆も亡くなったので、髪を切ってなかったとしても扱いとしては落とされるのか
やっぱ権力がないとひとはついてこんのだな わたしもこれからは左大臣をめざしたいとおもいます
ドラマでは、定子の出産の日と彰子の女御宣下の日を安倍晴明の予言でわざわざ同じ日にするといった嫌がらせをしましたね。描かれた嫌がらせだったのではないでしょうか?
お話面白かったです。登場した貴族のなかで唯一肝が据わってきちんと自分の場所で戦っていたのは清少納言だけだったんですね
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗光る君へでは定子さん公卿たちに嫌われてるなと思えるぐらいですが史実ではもっと酷かったんですね。定子さんかわいそう
きりゅう先生、ブラウス素敵です✨お肌もピカピカお美しくて羨ましいです✨✨✨私は夏バテ❓️梅雨バテ❓️ヘロヘロに成っております😅💦
清少納言の想いは、現代までつながって居るんですね!
清少納言をより深く知ることが出来ました。
有り難う御座います(*^^*)✨✨✨
いつも楽しく拝見してます。
きりゅうさんのお話は本当に面白くて、歴史ってこういうふうに解釈するんだ!と知りました。
定子ちゃんの出産の時はお兄ちゃんズだけで、なんとも心淋しい感じでした
是非彰子ちゃんの出産の様子を是非取り上げて欲しいです
僧侶の読経ドンドコドンドコ〜ものの怪がうつった憑巫の叫び声きぇぇ・・・・ととても出産出来るBGMではない様子を是非に❤
昔からの清少納言推しで、高畑充希が好きな私は、定子様推しでございます〜
定子ちゃんは、髪切らなきゃよかったのにね。
きりゅうさんのお話を聴いてると
平 惟仲さんも明日は我が身と思いながら
生き馬の目を抜く貴族社会で生きてきた強者
一見冷酷に見える平惟仲さんは
定子さんのお葬式を行ってるから
心根がとても優しい人なんでしょうね
あと最後に荒三位こと藤原道雅の名が出て嬉しかったです
大石静さんは、道長は今後も闇落ちしないと宣言されているそうです。そうすると道長の傲慢さを詠んだ歌と言われている望月の歌は NHKの新解釈が出るのでしょうね。楽しみ。
今回は、嘘っぱちばかりで、時代考証どうなってるんだ!!と感じています。長年の大河ドラマ的には、史実を捻じ曲げすぎです。
@@宮田綸子 そうですね。まひろと道長の関係に関しては、第 1回目からドラマとして見ないとけないですね。
まだまだ史実が、ガッチガチじゃないんだから、アリかな。
なぜ、女性だけでなく、男性にまで読まれたのか。天皇を頂点とする古代国家。貴族を中心とした身分社会。世の中の価値観、道徳観念、恋愛も全く異なる。その中で、異例の源頼朝と北条政子と、源義経と静御前のロマンス。特に、判官贔屓を生み出した辺りの御堂流は、が、それから現代のみならず、確かに生前中から読まれていたけど、本格的に語り継がれ、書写されたのは、娘の大弐三位(藤原 賢子)の時期か、小倉百人一首や優雅な王朝文化の懐古から、『源氏物語』が
@@宮田綸子
1000年前の史実なんてどこまで当てになるのですか😅?
そもそも記録なんてほとんどない時代
歴史なんて勝者の記録だけが頼りでしょう
大河ドラマでもドラマはドラマ…作り物なのですから始めからそのつもりで見ないと
道長と差をつけられていく定子も清少納言もかわいそうです。
そんな中でも定子への愛を出す清少納言、泣けます。
行成くんの努力のお蔭で~定子さん(お移り)の行列に時光と実資を同行させることが出来て、なんとか体裁を整えられて良かったですね😃同日に【宇治遊覧】をぶつける道長の嫌がらせに~参加したのが斉信と道綱だけだったのと=公卿の多くが日和したとはいえ=ここは引き分けですね😃行成くん、グッジョブです❗行成の板挟みの苦悩を描くのに絶好の「事件」なのに、スッポリとカットされたのは少し残念でした💦それまでの役者さんの表情演技にその一端は現われていましたが🙂
さらに敦康親王誕生時に道長から『嫌がらせパート2』をブツけられる定子サイドの屈辱は・・・同情に堪えません😢でも雄々しく気を張る【定子&清少納言】は、やはり敗者かもしれませんが、それ故に「美しい」ですね。それだけに凋落を招いた兄伊周の「しでかし」に今更ながら「喝」を入れたくなります👊でも反省の無い演技をする役者さんもさすがです😁
確かに、歴史的には敗者である定子清少納言ですが、だからこそその無念を秘めながら直接的に描かれていない”枕草子”が現在まで伝えられていることを思うと、彼女達の思いはしっかり継承され現代の私達に共感と哀れの気持ちを告げていて、すごいなあ!と感じます。
@@cancan5892 さん~定子さん&清少納言には失礼かもしれませんが、私は「滅びの美学」には非常に惹かれます。素晴らしい美点や長所がありながら「欠点・やらかし」を持ち合わせて脱落する芸術家タイプの場合もあれば、運命に翻弄されて退場を余儀なくされる場合など・・・アン・ハッピーエンドとも言えそうですが、「かつての栄光は麗しかった!」でもあるわけですね。きりゅうサン解説によって「枕草子」の裏事情が~否、清少納言の本意が度々語られて、勉強になりますね❗
定子出産の場面では小さな門で ひどい目にあった清少納言が 生昌に文句を言うと 身分相応の門にしたのです と言われ、門だけは大きく作った人もいますよ とやりこめるシーンがあります。中国の故事を引用しているらしいのですが 機会があれば解説してほしいです。それにしても清少納言の美意識は素晴らしいですね。本当にいい女です。
ここまで解説を聞いて漸く道長の腹黒さを理解。ドラマはそこまで描かないので。
やはり、今も昔も同じ、顔色を伺って、仕事ですよね😅
伊周や隆家は何の力も無かったのですか?自分の屋敷も無かったのですか?
ドラマでは立派な身形で元気そうでしたが~
いつも、配信をして頂きまして、どうもありがとうございます。
関係が無い話ですけれども、ふと思ったのですが、まひろちゃんの旦那様の宣孝さんの事を「殿」と呼んでいましたけれども、為時パパが越前から帰って来た場合、為時パパは何と呼ばれるのでしょうか?。「大殿」になるのでしょうか?。それとも、屋敷を別に構えて、「殿」のままなのでしょうか?。
あ、わたしも気になってます❤
当時の出産って、あんなに真っ白な着物や寝具で、画面では全く汚れてはいなかったんですが😅汚れたら全部すぐに取り替えたり、産後はすぐ捨てていたんですか?
赤ん坊含めて7日間はそのままです。もちろん汚れたら取り替えます。
という事は、出産用の着物などはかなり大量に準備していたのですね。返答ありがとうございます😊
伊周とか隆家の屋敷で出産しなかったのはなぜでしょうか?
二人はこのとき官位がなかったからでしょうね
ありがとうございました😊納得です
@@kashimashi_rekishi_ch 高階明順の屋敷を使わなかったのはなぜでしょう?
道長が、紫式部に彰子の出産を詳しく記せと命じて、式部は日記にどれだけ豪勢だったかを書いたそうですね。きっとドラマでその様子が描かれて視聴者はその比較をしてまた定子さまを思い出し泣くのでしょうね。
行成君不憫
伊周が京に戻ったと密告したのは、まだ播磨にいた伊周と丹波にいた隆家のやりとりを、隆家の面倒を看ていた平生昌の甥っ子が道長に密告したとも言われていますね。
だから平生昌自身は、清少納言たち定子の女官にディスられながらも、最初から最後まで恩義があった道隆の娘定子に尽くした忠義者だった説もありますよね。
定子(ていし=歴史の方です)が、髪を切って、
内裏へは入れない状況であったにもかかわらず、
一帝二后として、今までの呼称より上(?)のような、
皇后にしたのなぜだったのでしょう?
皇后と認めるのなら、そのような処遇があってもいいのでは?
もちろん実家が、力を失ったことが、大きく響いているのでしょうが、
この際定子自らの出家したという意思がどう扱われていたのでしょうか。
(髪さえ切ったりしなかったら・・・とずっと思っているのですが)
彰子さん今回の入内も無表情でしたけど、一条天皇との対面シーンはなんか惚れてるっぽい感じしたんですよね、歴史を知る我々はこれから定子がなくなり、のちに一条天皇も彰子さんを愛したのを知ってますけど、今のところまだ彰子さんに興味がなさそうの一条天皇を見ると、これからの彰子さんが心配になる。
赤染右衛門の旦那さんもドラマに出て欲しい〜😊
ボンクラ道綱🤣
今、酒井順子さん著の枕草子を読んでいるのですが、ちょうど平生昌のとこ読んでました〜(^o^)
七夕のイラスト
メインは織り姫星
彦星は、「男」というだけで名前も無い
天頂に輝く織り姫星を子ども2人と共に見上げている、本来の七夕に近いイラストですね
蝉が鳴いたので、もう梅雨明け☀ですね
枕草子には職御曹司にも公卿達が来て華やかな様子が描かれてるらしいのですが(当方勉強して無いので実際は不明ですが)その公卿達も出産の際に屋敷は提供しなかったという事でしょうか?
ドラマでも公任さんが笛を吹いてましたが…
道長、相当焦ってたんですね〜。いじめは良くないし定子は可哀想だと思うけど、道隆も相当身内びいきしてたからな…。死ななければ中野関白家の権力独占は加速してたと思うから、美化するのは身内だからかなと思ってしまう🤔
ずっと疑問に思っていることがあります。
1000年前の御堂関白記や権記、小右記などの日記が今の時代にも残っているのがすごいなぁと思ってますが、どのような経緯で残っているのか知りたいです。
子孫の方が代々保存していたのか?発掘されたとか?
道長の書いた御堂関白記が世界遺産になっているとの事ですが、その経緯も知りたいです!宜しくお願いします。
京都には平安時代の藤原家から続く公家(公卿)冷泉家が今も続いています。冷泉家では今でも十二単を着て歌を詠むなどの行事をつづけてます。また、明治時代に天皇に就いて東京に移り住んだ元公家の人々は、近衛伯爵など爵位を得て、政治の中枢で活躍しています。つまり、平安時代の文化的資料は天皇家が続いてきたので現代まで守られる素地があったと考えます。
奈良の高野山で道長自筆の資料が最近見つかったニュースもありましたよ!
天皇家が代々続いているんですね~。とても興味深いお話し教えていただきありがとうございます😊😊😊
4〜5話前だったか、F4から道長が抜きん出た後に源俊賢が加わって4人で話していた時
他の3人が道長についていくとか、負けたとか言っている中、
斉信だけは無言を通したので、
まだ一発逆転を狙っているのかなと思ったのですが
深読みしすぎですかね
歴史上は道長におもねっているようですし
中宮定子の読み方が「さだこ」というのに異説はないんでしょうか
徳川和子が入内するときに、宮中では濁音は忌避されたので、読み方を かずこ から まさこ に変えたという話がありますが、それは後世の話で平安期には問題なかったのでしょうか?
ちょっと調べたら定子と書いて「やすこ」「またこ」「つらこ」などとも読めるようなので、そっちを主張する説はないのかな、とか、
最近気になってます。
定子にいろんな読み方があるんですね。サダコはなにかピンときませんよね。
でも私は、そもそも定子などの名前は、位階とかのための書類記載に用いられるもので、普段の呼称ではなかったのだから、案外、ご本人や周りの人も、読み方は分からなかったのでは?と思っています。
昭和のころの皇室アルバムでも、宮さま方は○○宮さまと呼ばれていて、○仁さまとか○子とは呼ばれてなかったし…
定子皇后の血筋 女系でもどこかで繋がっているのかな⁇ある歴史学者もおっしゃっておられますが一条帝が彰子中宮に接したのは寵愛からではなく政治背景があったからだとおっしゃっておられますがきりゅう様いかがでしょうか⁇
「がんじがらめ」って漢字で
「雁字搦」って書くんだ!驚き😮
内裏の火事を定子中宮のせいと噂を流した大江…道長への忖度…
ところで内裏の火事の出火原因って、なんだったんだろう…?と気になってきた…😨
今回のドラマで定子様を皇后にして、彰子様を中宮にする、という話がありましたが、皇后の位が空いたなら、そこへ彰子様を入れるのではダメなのでしょうか?
平安時代の上級貴族、結構ストレス溜まりますね。。。
規則でがんじがらめな天皇。。。それでもなぜ天皇は自分の息子を、愛する女性が産んだ息子を天皇にしたがるのか???
きりゅうさん、とってもおしゃれで素敵です💛 厳しい目を向ける人もいますがやっぱり私は清少納言と中宮定子の関係性が好きですね。尊いです。千年たった今でも中宮定子を好きな人はたくさんいるのですから、清少納言の思いは叶ったと言っていいと思います。ところで定子様が亡くなって清少納言たちが宮中を去って後に貴族たちが定子サロンを懐かしみ賞賛して、彰子サロンを酷評したのは本心では同情する気持ちがあったとかいうことはないのでしょうか?
ガチに豪華な妃の出産シーンは、彰子ちゃん初産の時に、ドラマでも見れそうですね!
なんといっても舞台は土御門殿・・・まひろが女房として、紫式部日記に
詳細に書き残してくれてますし🤭
とても楽しみです
枕草子の裏話、実は…というのを知ると、権力闘争は切実なのだとつくづく思います
「入内をぶつけるか」とあっさり言ってましたが、熟慮した段取りもあり、道長は賢い人だったんですね
枕草子に、「器の小さき人、心の狭き人、云々」と反撃文を書いてやればよかったのに
定子さんの出産がしょぼいと言われると、まひろさんの立場がなくなりそう
いとさんも乙丸さんも他、みんな百人力で頑張ったということですよね
長徳の変、花山法皇の牛車が射られたのは斉信の屋敷の門の外。
門の中には牛車は入らなかったのでしょうか。斉信の父は太政大臣為光。
門が小さいとは思えないので四の君の寝所に近い小さい門から出入りしていたから
牛車は門外で待っていた。というところでしょうか。
一条帝は生涯定子皇后を愛していたのは確実と思います 彰子中宮は圧力で仕方なくとある歴史学者かおっしゃっておられますが きりゅう様いかがでしょうか⁇
定子と清少納言は不遇の扱いを受けても心豊かで雅なのが
見ていて優しく悲しい気持ちになります
きりゅうさんの解説を聞いて枕草子の読み取り方が変わってきます
兼家の血を受け継ぐ道長が
ブラック道長にならない事を願います
道長は定子に対して傲慢とか、嫌がらせとか言うけど、それは矮小化した見方だと思います。
道長にとってはそれも政治なのだと思うのですが。
女性に対して、あれはやりすぎ、器が小さいと昭和時代の学者が書いた本にはありました。
なるほどー、弓でトラブルおこした2人が鳴弦かぁー、と思ってたのですが、お兄ちゃんしかやってくれる人いなかったんですね
道長なりのことなんだけど定子ちゃんには最悪(;´∀`)でも、どちらもわるくないんですよね。
平生昌は門を四脚門に作り替えたという記録は無くて、清少納言が定子のみじめさを知られたくなくて嘘をついた、という説もあるそうですね。中宮太夫を放り出した惟仲といい、この兄弟はひどいですねえ。
前回の返信が私にとって本当に役に立ちました。ありがとうございます!
藤原彰子の女御にする宣旨文は伝わらないが
書式は一定しているので想像は可能だ。
しかし、上卿、伝宣者、奉者が不明なので作れない。
尤も、口宣案の作成は可能なので試みた。
長保元年十一月七日 宣旨
從三位藤原朝臣彰子
宜爲女御
藏人頭右大辨藤原行成奉
それにしても、この時期には、藤原実資の小右記、藤原道長の御堂関白記、
藤原行成の権記といった日記類が現存しているものの、いずれもこの女御の宣旨文を
掲載していないのは残念だ。
帝は甥、中宮は姪、若い甥と姪がそんなに愛し合っているのにそこまで嫌がらせするなんて何様って思ってしまいます。
まだ30代だと思うのですが、それだけ威圧感のある人だったのかなと感じます。
この時代、兄弟ですら系統が違い、権力争いの敵です。かつて兼家も兄と争って辛酸を舐めました。
そもそも愛だの恋だのを政治に持ち込んだ一条天皇と定子が非常識なんです。没落した挙句、勝手に出家した定子は政治的に見たら天皇の正妻に相応しくありません。でも定子が愛おしいからと中宮のままにして子を孕ませるなんて道長でなくても総スカンしますよ。本来なら他の女性を中宮にするべきなんです。
帝と中宮は庶民の夫婦ではないのですから。
冷たいかもしれないけれど定子と一条天皇ってラブロマンスとては素晴らしいしすごい純愛だけど現実的には非常識で嫌われるのも当然ですよね。定子は判官贔屓と清少納言の定子賛美で悲劇のヒロインになっているけど父が死んで2日で参内したり、兄と弟を自ら匿ったり、衝動的に出家したりしていて直情的で後先考えられない人と言わざるをえないと思います。学はあっても行動が愚かというか。また、定子は権力欲がないとも思えないです。天皇を断りきれなかったとも言われますけど髪切ったなら本当に仏門に入って仕舞えばよかったのにそうせずに天皇に応じてるのは中関白家の復興を狙ってたというしかないでしょう。決して悲劇のヒロインとはいえません。結果、貴族の顰蹙買って自分や子を助けてくれる人を自ら減らしたわけですが。
中関白家ってことごとく自業自得ですね。枕草子も忠義の証であるでしょうがプロパガンダともいえますね。
個人的に道長は嫌がらせをしてはいるけど単なる権力闘争の勝者。彰子も最終的に絶大な権力を手にしただけだと思います。それだけで悪く言われることもありますけど、権力闘争に負けた挙句、墓穴掘った定子含む中関白家の人々にそこまで同情の余地はないと思います。
このコメントを見るまで、定子はただただ可哀想で、なんなら定子→善、彰子→悪みたいにとても薄い浅はかな認識でした。でも、このコメントを読んで認識が変わりました。冷静な反対意見って大事だと思いました。
@@成瀬-z6m 定子は兄や弟、天皇に振り回されたという意味では可哀想な人ですが、きりゅうさんが度々仰っているように平安時代の女性は弱々しいだけではないという面が定子にもあったということだと思います。
@@yayoia8017 コメントありがとうございます。広い視野で見ていかなきゃと痛感しました。なので、彰子の事も色眼鏡で見るんじゃなくきちんと良い所を発見して行こうと思います。
何だか私のメンバーシップの引き落としが出来なかったみたいで、申し訳ございませんでした。以前にも有ったのかしら?全くいい加減で申し訳ないです😢今、無事に更新されました。ごめんなさいm(_ _)m
多めに入れとけって話ですよね💦今後は気を付けます(´TωT`)
もし藤原道隆(井浦新さん)が長生きしていたら中関白家が栄えていたでしょうし🌸
さらに中宮・定子に第1皇子敦康親王が誕生しましたから,敦康親王が天皇に即位していた可能性も大✨でしたね。
詮子(吉田羊さん)は円融天皇からあまり愛されませんでしたが父・兼家という偉大な後見がいた為に一条天皇は即位できましたが,定子は一条天皇から寵愛され💕第1皇子を生んだけど母方の後見の弱さの為に敦康親王は天皇になることはできませんでした,
こう思うと詮子と定子は対照的な天皇家の嫁姑ですよね🤔
道長の腹黒さが見えてきましたね~政治てきな事でしょうが、よほど定子様が怖いのですね、もともと個人的に嫌いですが、政治てきでもやり過ぎですがまぁ~ドラマですからね~千年前の時代何が本当か定かわかりませんね~でも源氏物語は物語としては大好きです😅